夢野の鹿
公開日: 7:35 物語
とおいむかしのことでした。摂津の国の夢野というところ(兵庫県の湊川のあたりです)に、鹿の夫婦が住んでいました。二頭の鹿は、とても仲よく暮らしていました。
あるとき牡鹿は、海の向こうの淡路島に美しい牝鹿がいると聞き、いてもたってもいられなくなって、海へ飛び込んでおよいでいきました。
若くて美しい牝鹿にむちゅうになった夢野の牡鹿は、何度も何度も海を渡って淡路島に通います。
海を渡る牡鹿の絵 |
もとの妻は、とても苦しい思いをしましたが、夫が淡路島の妾のもとに通うのを止めることができませんでした。
ある日のこと、牡鹿は本妻のところに帰ってきて、すぐに眠ってしまいました。
淡路島まで海を泳いでいたら、疲れて眠ってしまうのも当然ですね。
牡鹿はふとめを覚まして言いました。
「不思議な夢を見たよ。俺の背中にすすきがたくさん生えてきて、雪がその上にふりつもった」
本妻の牝鹿は、こんなふうに夢を占いました。
「背中にすすきが生えてきたのは、きっとあんたの背なかに矢が刺さるということよ。雪がふりつもったのは、塩をふりかけられるということよ。あんたがこれ以上淡路島に通うと、よくないことがおこるという知らせだわ。だからもういかんといて」
本妻の牝鹿としては、夫をなんとか手元に留めたくて、こんなふうな解釈をしたわけです。
牡鹿はなるほどと思いました。
けれども次の日になるとまたいてもたってもいられなくなって、海にとびこんで泳ぎます。
あと少しで淡路島というところで、船に見つかり、背中いっぱいに矢をいかけられ、そして皮をはがれて塩をふりかけられてしまいました。
・・・
この物語の教訓はなんでしょうか?
「浮気をしてはいけない」
まあ、そのとおりですね。そんなこと、してはいけませぬ。
あるいは、
「夢の解釈は、現実になることがある」
こちらもまた、真実かもしれません。夢を解釈するということは、ひとつのストーリーをつくるということです。
この夢の解釈は、本妻の牝鹿の願望が反映されていたのかもしれませんが、物語のなりゆきとして、牡鹿は矢で射られてしまいます。
文学で言うところの「チェーホフの銃」です。
ロシアの劇作家、アントン・チェーホフは、「誰も発砲することを考えもしないのであれば、弾を装填したライフルを舞台上に置いてはいけない」と話したと伝えられています。
夢の解釈も、いったん誰かが言葉にしてしまえば、それは「伏線」としてその後の出来事のシークエンスに影響を与えるのです。
その解釈が、本当か嘘か、ということは、それこそ事後的にしか明らかにはなりません。
言葉にしてしまったことが、言った方も言われた方も、拘束してしまうのです。
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