魚の夢、あるいはサカナになってみる
魚の夢
夢に魚が登場したので、どんな意味があるのかなと連想してみました。
カール・ユングは、夢に出てきた巨大な魚を描いて、「海の怪物が表しているのは、無意識に捉えられることから、自我意識を自由にしようとする試みだ」と言いました。
That Fish in Jung’s Red Book |
深層心理学では水や魚は無意識や潜在意識と関連している、と考えられることが多いようです。
いわゆる「夢占い」などでも、魚は心の奥に秘められたエネルギーや感情、可能性として解釈されることがあります。
魚を捕まえたり、食べたりする夢は、あなた自身の無意識の可能性を手に入れるということを表しているそうです。
逆に、魚に食べられたり、自分が魚になってしまうという夢は、無意識にのみこまれる、あるいはそれと同一化してしまうといった意味合いで、ネガティブに解釈されることがあります。
なんていうのは、あくまで「夢辞典」的な解釈ですので、「そういうこともあるのかな」と話半分で受け取っておいた方がいいでしょう。
「あなたにとって」その魚の夢が何を意味しているかは、連想をふくらませたり、夢のフィーリングを感じることからしかわかりません。
お魚になった女の子
「人魚姫」は、人魚が人間になる話ですが、スペインには人間の女の子が魚になっていまうという物語があるそうです。川のほとりに住んでいた女の子が虹のようにきれいな魚を捕まえます。魚はとつぜん「私を食べたらおまえを魚にしてしまうよ」と言いましたが、女の子は料理して食べてしまいます。とたんに女の子は魚に変身して、川におちてしまったのです。魚になった女の子は海の王女さまと出会います。この王女さまもかつては人間だったのですが、大男に冠を盗まれて魚になってしまったのだといいます。女の子は冒険の旅に出て王女さまの冠をとりもどし、人間に戻ることができたというストーリーです。
お魚になった女の子(スペインの昔話)
Paul Klee: The Golden Fish |
昔話や夢の世界では、人間と動物の境界はわりとあいまいで、行ったりきたりすることができますよね。子どもも、いろんな「ごっこ遊び」で、動物や怪獣やヒーローに変身します。
大人になって、自我意識が発達してくると、それこそ意識と無意識の境界がかっちりとしてきて、そうそう動物に変身するのも難しくなるのです。
サカナになってみる
ジェンドリンの夢のフォーカシングに近いアプローチとして、「サカナになるフォーカシング」というイメージワークの手法が紹介されている文献がありました。イメージング・フォーカシング:サカナになるフォーカシングからの考察
「自分がなりたいサカナ」を自由にイメージしてもらい、周囲の環境(水やサンゴなどなど)との関わりから生まれたフェルトセンス(身体の感じ)をあつかうというものだそうです。
何度かやってみましたが、なかなか面白い体験でした。
やり方はこんな感じかな。
- 少しゆっくりできる時間と場所を確保します。
- 深呼吸を何度かして、自分の内面に注意を向けてください。おなかや胸のあたりに意識を向けるのがやりやすい人が多いようです。
- 「自分がなりたいサカナ」を思い浮かべてください。そして、そのサカナになってみたところをイメージして、それをからだで感じてみてください。その感じにぴったりくる言葉はなんでしょうか?
- 今度は、少し離れたところからそのサカナを眺めてみましょう。どんなふうに見えますか? そのサカナが何か言うとしたら、なんて言いそうですか? あなたは、そのサカナに何を聞いてみたいでしょうか?
- サカナの言葉を聞いてみて、あるいはサカナに聞きたいことを言ってみて、どんな感じがしますか? そのフェルトセンスとサカナのイメージ(あるいはサカナとの対話)のあいだを行ったり、来たりしてみましょう。
ゲシュタルトセラピーのワークや、ユング心理学のアクティブ・イマジネーションにも似た方法に思えます。
参考
フォーカシングの手引き
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